カテゴリ:雑感( 6 )

 

冷房主義、暖房主義@東洋経済5月17日号「子ども格差」

今日は、食べ物の話でも、旅の話でもなく。
まあ、ネタが無いだけで。

d0140653_2331053.jpg今週号の週刊東洋経済の特集は「子ども格差」だった。タイトルにつられて、つい買ってしまった。
この問題について言えば、新自由主義的施策を比較的好むが、格差が世代を越えて伝わっていくことは絶対に避けなければならないと考えている。

さて、近時の日本の政治に関するベクトルは、新自由主義は是か非か、という点に集約されているように思う。
新自由主義を説く者と社会民主主義を説く者とが互いに自己の教義にもとづく折伏をしあっている。

でも、あんまりドグマティックになるのもねぇ、と思う。
寒いときには冷房を入れるし、暑くなれば暖房をつける。暖房を付けて乾燥してきたら、加湿器を付ける。
それぞれの状況に応じて修正すればいいので、別に、冷房主義、暖房主義と「主義」にする必要はない。

政治についても同様で、中国やインドとの競争の中で新自由主義的施策を採らなくてはならないこともあろうし、格差が次の世代にも受け継がれるという現実は避けるべく教育に関しては社会民主主義的施策を採らなくてはならないこともあろう。
別に、「主義」ではなく、「主義的施策」で十分と思うが。

互いにドグマティックになって日本社会が分裂してしまうのではないかと恐れる。
米国のように保守かリベラルかという主義で州ごとに色分けされるという事態をみると、どの主義を採るかという主義の選択より、主義か現実かの選択をむしろ主張したくなる。
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by yokohama_nakame | 2008-05-17 02:30 | 雑感  

【ニュース評】「大学への数学」創刊者死去

d0140653_3254785.jpg受験雑誌「大学への数学」の創刊者、黒木正憲氏が4日に86歳で死去されたとのニュースに接した。

高校2年までまともに勉強していなかった。勉強というのは長年の地道な積み重ねで、簡単にワープできるようなものではなく、高校3年から勉強を始めてもまともな大学には入れないというのが常識だろう。英語や古文の問題を見た時は、確かに絶望的になった。今から勉強を始めても、辛いな、と。

でも、数学だけは、根拠もなしに、できそうな気がした。英語や古文はひたすら修行を重ねていく必要がありそうだったが、数学だけは、コツを掴めば何とかなりそうだ、と思い込んだからだった。
その思い込みを支えてくれたものの一つが、この「大学への数学」だった。地を這うような計算の繰り返しではなく、エレガントでワープしていくような解き方が美しかった。
もちろん、高校2年までまともに勉強をしていなかった身に、読める代物ではなかった。でも、これを読めるようになりたい、という憧れを掻き立てるだけのものを感じさせてくれた。

思い込みが効いたのか、紆余曲折を経て2年遅れはしたものの、東京大学に入学することができた。でも、もし数学が入試科目になかったら、東大には入っていなかった、と思う。
文系だったせいもあり、入学以降、数学から離れてしまったが、数学の存在自体にも、「大学への数学」にも感謝している。
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by yokohama_nakame | 2008-05-13 03:28 | 雑感  

【書評】中国文明の歴史

ここ数年、新書がよく売れているようだ。それも、タイトルで客を掴むような本が多い。「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」とか。

d0140653_1122473.gifこの風潮に真っ向から逆らうようなタイトルを付けた「中国文明の歴史」。タイトルだけ見ると、中国史概論。「<中国>はいかに拡大したか?」と書かれた帯がなければ、手に取ることもなかっただろう。

以下は、(本書の要約というわけではないが)本書を読んだ上での自分なりの現時点の理解の概要。

‥‥‥
「中国」という概念は、二重の意味で拡張してきたと考えている。

1.人口は幾度も大きな減少を示し(前漢末期→後漢成立…6000万→1500万、後漢末期→三国時代…5000万→500万)、異民族(とりわけ北方系)が流入し漢民族に同化することでその人口減を埋め、「漢民族」の内実は大きく変容した。
2.元以降、中華帝国は、漢民族と異民族とを併せ統治する、華夷統合の世界帝国と変貌した。
‥‥‥
西欧的な国民国家の感覚で、「○○が中国に含まれるか?」という問いを立てても、その回答は一筋縄ではいかないかも知れない。

岡田英弘著「中国文明の歴史」(講談社現代新書)
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by yokohama_nakame | 2008-05-06 02:13 | 雑感  

【書評】「弱者救済」の幻影―福祉に構造改革を

障害者の中で一番すごいと思う人は、麻原彰晃。なぜなら、彼が障害者であるということを誰も意識していないから。
そう言ったことがあった。たしか、1993年のことだと思う。
今にして思えば、説明不足で奇を衒った感のある青い発言だが、その頃に言わんとした所は、今も基本的に変わっていない。

d0140653_372854.jpg自分で表現できないことを人の力を借りて表現するようだが、政治学者の櫻田淳氏は、(氏は脳性まひの重度身体障害者である)著書「『弱者救済』の幻影―福祉に構造改革を」の中でこう書いている。

‥‥‥
この国では、障害を持つ人々が「障害者」の立場に寄り掛かる限りは、誰でも一冊の書を出すことができる。この国の大多数を占める障害を持たない人々にとっては、障害を持つ人々の日常とは、なかなか理解の及ばない「異界」として意識されているようなところがある。障害を持つ人々が日常の生活経験に引き付けて何かを語れば、それは、障害を持たない人々にとっては、「異界からの通信」を意味する。毎年、数冊は必ず出版されている「障害者本」の価値は、紛れもなく「異界からの通信」としての価値なのである。

私が関心を持つのは、「社会的な存在」としての乙武氏が、どのような「業績」を具体的に世に示し得るのかということでしかない。もし、乙武氏がスポーツ・ジャーナリズムの世界に身を置く人物として、我が国のスポーツ・ジャーナリズム史上、伝説的作品と称される「江夏の二十一球」を手掛けた故・山際淳司氏‥のような域に達しようと目指しているのであれば、その選択それ自体には、なんら云々すべきことはない。私は、スポーツ・ジャーナリズムの世界で確かな位置を占める「業績」なり「作品」なりを乙武氏が世に示すのを待つだけである。私は、「障害にもかかわらず、頑張った‥‥」という類の言葉には、一切の信を置いていない。

‥‥‥

この言葉を地で行く、あえて険しい道を選ぶ櫻田氏の生き方に敬意を表したい。
が、マジョリティーからの共感を得ることはできないかも知れないとも思う。

ちなみに、つい先日、櫻田氏は、3年半近く書いていたBlog「雪斎の随想録」の終了を宣言された。
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by yokohama_nakame | 2008-04-26 03:11 | 雑感  

新自由主義的政策、格差社会批判、教育改革

新自由主義的政策を批判する論者は、現在の社会を格差社会であると批判する向きが多いようだ。そのため、新自由主義的政策と格差社会批判とは、対立する主張として見られるように思うけれども。

90年代初頭に新自由主義的政策を掲げてきた論者は、「結果の平等」を否定する一方で「機会の平等」を重視してきたはず。

一方、最近、格差社会として批判されている最大のポイントは、親の経済格差が子に「遺伝」する、という点にあるように思う。そして、そんな「遺伝」を阻止するためには、教育の機会均等を、親の経済力がなくても能力とやる気のある子供が力を伸ばせるシステムを、実現するしかないと言われているように理解している。

そうしてみると、この両説は、本来そう対立するものではなく、協力し合えるところもあるような気がしている。そして、その両説の協力し合えるだろう点こそ、まさにぼくの考え方と合致するところ。

ぼくがしばしば読んでいる、某外資系金融機関勤務の人(つまりは、新自由主義的な論者と世間からは見られるだろう)の書いているブログ「金融日記」に、教育改革についてのこんな記述があった。
長いけど、引用させてもらいましょう。

‥‥‥‥

1.大学までの授業料を完全無料化と奨学金制度の充実

厳密に計算したわけじゃないけど、公共事業とかのバラ撒きとか農業補助金とかカットすればお釣りが全然くるでしょ。
機会平等を保障して、結果不平等をどんどん促進していかなければいけないでしょ。
それが活力を生むんじゃないの。
親が貧乏でも金持ちでも平等に教育を受ける機会を与える。
これで格差が出来るのは自己責任と言う事を徹底させるべきだね。

ヨーロッパの国では公共の教育は全部無料にしているところが多いしね。
日本に出来ないことはないでしょう。

2.飛び級制度の導入

いつも思うんだけど全員が22歳とか23歳で大学を卒業して就職するっておかしくない?
15歳ぐらいで大学卒業する奴がいた方がいいでしょ。
みんな同じタイミングで入学して同じタイミングで卒業するから、受験勉強は大学のブランドを競い合うちんけな競争になるんでしょ。
20歳ぐらいで金融工学のPhDを取って証券会社で働いたりする人がいたほうがいいよね。
18歳で情報工学の学位を取って自分でベンチャー企業を起ち上げるような人がいた方がいいよね。

大体、今の公立小学校は難関有名中学受験の塾とかに通ってる生徒には授業が簡単すぎて、優等生が率先して学級崩壊させたりしてるんでしょ。
だったらよく出来る生徒は、塾に通って受験勉強するかわりに、どんどん進級させてあげた方がいいでしょ。

3.引退したビジネスマンを中学・高校の教師としてどんどん招聘する

あんな共産思想で犯罪でもしない限りぜったい首にならない人たちに子供たちの教育は任せられんやろ。

これから高齢化社会で団塊の世代がどんどん引退していくわけだから、彼らにどんどん教師になってもらった方がいいと思うんだよね。
メーカーの研究所で働いていたひとが引退して理科とか数学の授業をしたほうが生徒も面白いしためになるでしょ。
世界中を駆け回ってた商社マンが社会とか英語の授業をした方が生徒も勉強になるでしょ。

引退した後も働いて税金納めてくれるんだから、国にとっても願ったり適ったりじゃない。

一部の無能教師の雇用を守るためだけに、日本の子供たちの将来を売り渡すことはないよ。
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by yokohama_nakame | 2008-03-18 01:38 | 雑感  

金融商品と冷凍餃子

仕事がらみのことは基本的に書かないのですが、今日は少しだけ。

ぼくは、投資信託の仕事をするようになってから、(もともとあまり食べなかった)加工食品(とくに冷凍食品)をほとんど食べなくなった。

投資信託というのは、株や債権といった金融商品をいろいろ混ぜて切り売りした商品である。そして、①投資先をプロが判断する、②少額でも分散投資できるという付加価値がついているという建前になっていて、その代わり、かなりの手数料を取られる。
一方の加工食品にしても、ハムであれば、肉を仕入れて塩などで味を付けて、①単なる肉より美味しい、②保存が利くという付加価値をつけ、その代わり、値段は高くなっている。

まともな材料を元に加工した商品であれば、材料をバラで買うよりも手数料分高くなるのが当然なのだ。

さて、「冷凍食品は材料を買って自分で作るより安い。」こう言われることがある。
確かに、一人暮らしの人にとっては、冷凍餃子を買ってくる方が、自分で材料を買ってきて一人分の餃子を作ろうとするより安上がりだ。投資信託であれば少額でも分散投資が可能である、というのと同じ理屈である。
しかし、問題なのは、10人分の冷凍餃子を買う方が10人分の餃子を手作りするより安い場合だ。

加工賃が上乗せされているのに、材料をバラで買うより安い理由は何だろうか?
さっと思いつくのは、2つの理由である。①同等の材料を安く買える土地・時に大量に仕入れている。②混ぜてしまえば分かるまいと思っていい加減な材料を使っている。

ミートホープの社長の言う通り、混ぜてしまえば分からないのだ。食品も金融商品も。

加工食品の個々の材料の生産地を確認できますか?
投資信託に組み込まれた金融商品が最終的に何に投資されているか確認できますか?
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by yokohama_nakame | 2008-03-14 03:32 | 雑感